メディア

2011.01.12

ジャーナリズムを論じる不毛、論じない不毛

 岩上安身さんと江川紹子さんが、「ジャーナリスト」の定義をめぐってちょっとしたつぶやき合いを展開した模様。

ジャーナリストになるには。岩上氏、江川氏の呟き。
http://togetter.com/li/87037

 個人的には、どちらかと言えば江川さんが言っていることに同感する。岩上さんが言っていることもわかるが、そうなると「そもそもジャーナリズムって何?」というところまでさかのぼって考える必要があるだろう。

 ウィキリークスの情報公開は「知る権利」に応えるものであり、岩上さんが言うように誰もがジャーナリストになり、「事実をありのまま、正確に伝える」ことに励むようになると、下のような形で「ニュース」がどんどん「報じられる」かもしれない。

稲本潤一と田中美保がお泊りデートか!? 女子大生バイトがTwitterでバラして炎上
http://rocketnews24.com/?p=64886

 誰それは公人だからうんぬんとか論じても仕方ないし、ツイッターを規制したりするのも無意味だろう。しかし、それでは何をもってジャーナリズムとかジャーナリストと言うのか、新しい定義は何か、というもう少し細かな議論が欠かせないのではないかと思う。

 などとつらつら考え、一方で「記者クラブ批判」がツイッターで盛り上がっているのを「何だかなあ…」と思って眺めていたら、ちょうどいいタイミングでニューズウィーク日本版の特集記事が出た。

だから新聞はつまらない
http://www.newsweekjapan.jp/magazine/40499.php

 記者クラブ批判の盛り上がりに違和感をいだくのは、木を見て森を見ずというか、それが問題の一部に過ぎないことが忘れ去られているように見えるからだ。

 記事では、ジャーナリズムの役割について、『ジャーナリズムの原則』(邦訳・日本経済評論社)の定義を次のように引用している。「市民が自由で独立できるために必要な情報を伝達すること」

 記者の役割はこう。「重要な出来事を読者の関心を引き付ける形で伝えなければならない」「ニュースを大局的に伝え、意味付けをしなければならない」

 記事はまた、日本の新聞社やテレビ局の現場至上主義や「物量作戦」についても詳しく批評している。これについては私も5年前に、在日外国特派員協会に頼まれて会報誌に寄稿した記事に少し書いた。

Saving face
http://www.fccj.or.jp/node/1175

 20年近く前だが、大リーグ入りした野球の野茂英雄選手のデビュー戦の取材でサンフランシスコの球場を訪れたときのこと。取材に時間がかかって市内まで戻るバスに乗り遅れてしまい、地元紙のSan Francisco Chronicleのスポーツ担当記者に頼んで車に乗せてもらった。

 車内でいろいろな話をするうち、その記者が、日本のメディアはなぜあれほど多くの記者やカメラマンをアメリカのゴルフトーナメントに送って寄越すのか、不思議で仕方がないと言った。

 優勝候補ならともかく、上位に食い込む可能性さえ乏しい日本人選手が1人か2人だけ出場する試合に各社合わせて何十人もの取材陣を派遣するのは時間とカネの無駄ではないか、というニュアンスだった。

 それはまったくその通りで、その後、イラク戦争のときに自衛隊が駐屯するサマワから記者を引き揚げた日本のメディアの体たらくぶりと考え合わせるに、ニュースバリューの基準や判断がゆがんでいるのではないかと思った。ニューズウィークの記事はそうした点や、それ以外の問題点についても詳しく論考・リポートしている。

 岩上さん・江川さんのつぶやきを自分なりに解釈して言い換えると、ジャーナリズムは必要だが、ジャーナリストという言葉はもはや不要、なのかもしれない。

(ちなみに記者クラブ批判の象徴のように言われる上杉隆さんは、記者クラブだけが問題とは一言も言っていないし、記者クラブや官房機密費だけ批判・批評しているわけではない。念のため。ただし個人的には、『官邸崩壊』(新潮社)で見せたようなストーリーテリングの才もある上杉さんには、とっとと別なテーマに取り組んでその才能を発揮してほしいと願っている)

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